長岡って
どんなところ!?
長岡って
どんなところ!?
長岡って
どんなところ!?
長岡市は新潟県のほぼ中央部に位置し、中越地方と呼ばれる場所にあります。
市街地から雪深い山間地や日本海に面するエリアまで、広大で豊かな自然環境に恵まれています。
多様な暮らしが実現できる移住におすすめのまちです。
人口は新潟市に次いで2番目に多く中越地方の経済の中心地となっています。
気候は、夏は高温多湿・冬は気温が低く、四季の変化がはっきりしています。
冬季の日照時間が短いことが特徴で、秋から冬にかけて降水量が多く、年間降水量の約50%は冬季間が占めています。その大部分は降雪によるものですが、平野部や海岸、山沿いといった地勢の違いにより、積雪量には地域差が見られます。
気候は、夏は高温多湿・冬は気温が低く、四季の変化がはっきりしています。
冬季の日照時間が短いことが特徴で、秋から冬にかけて降水量が多く、年間降水量の約50%は冬季間が占めています。
その大部分は降雪によるものですが、平野部や海岸、山沿いといった地勢の違いにより、積雪量には地域差が見られます。
長岡あるある
挿絵の作者
東京都出身、2015年ご主人の出身地である長岡市へ移住。自身の体験をもとに都会とのカルチャーギャップを4コマ漫画にまとめた、同人誌「ちほうとしぐらし!2021」を出版。
長岡の歴史
信濃川流域に広がっていた多くの村
信濃川流域に広がっていた多くの村
燃え上がる炎のような形状が特徴の火焔土器が長岡の地で誕生しました。
この土器が出土した馬高・三十稲場遺跡は、国の史跡に指定されています。
NHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続が活躍
NHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続が活躍
長岡で青年期を過ごした上杉謙信は、やがて戦国の雄となり、のちに与板城主(長岡市与板町)となった、直江兼続がその意志を継ぎます。
7万4千石の城下町として発展
7万4千石の城下町として発展
1618年牧野家が入封し、長岡城(今の長岡駅周辺)が築かれ、250年余り続いた越後長岡藩が誕生します。
牧野家は三河国牛久保(今の愛知県豊川市)の出身で、家訓の一つ「常在戦場」に代表されるとおり、質実剛健の気風はそのまま藩風となり、今なお受け継がれています。
日本の未来を作る偉人が活躍
日本の未来を作る偉人が活躍
第9代長岡藩主牧野忠精が開校した藩校崇徳館は、後に藩政を担う河井継之助や「米百俵」で知られる小林虎三郎らを輩出しました。
明治時代には、長岡出身の大竹貫一・久須美秀三郎・外山脩造・山口権三郎ら、多くの優秀な人材が長岡、そして日本の近代化を牽引しました。
戦争や自然災害を乗り越え、今の街の姿へ
戦争や自然災害を乗り越え、今の街の姿へ
長岡は、北越戊辰戦争と昭和20年8月1日の空襲により、市街地が二度にわたり壊滅的な被害を受けました。しかし、市民の努力によって復興を遂げ、現在のまちの姿に繋がっています。
毎年8月2、3日には長岡空襲や中越大震災など、戦争や自然災害で亡くなられた方々の慰霊・復興・平和への祈りを込めた「長岡まつり大花火大会」が開催されています。
長岡市へのアクセス
長岡市は県内の中心部に位置し、近隣の都道府県や関東へのアクセスが良好です。
市内には上越新幹線が発着するJR長岡駅、関越自動車道と北陸自動車道に乗り入れできる長岡JCTがあります。