「地方にはどんな仕事があるの?」
—— 移住を検討する際、誰もが一度は抱くそんな不安。
2025年12月23日に開催されたイベント「移住者蔵人の挑戦!恩田酒造の坂東さんに聞く「半農半酒造」の暮らしとローカルの仕事づくり」(主催:きら星株式会社)。
移住者であり、150年続く酒蔵の蔵人として働いている恩田酒造株式会社(以下、恩田酒造)の坂東 拓哉さんに、長岡暮らしの魅力とチャレンジを語っていただきました。
長岡でみつけた、自分らしい働き方のヒントが詰まったイベント模様をレポートします!

旅する「風」が長岡の「土」に辿り着いた理由
ーー 坂東さんは大阪出身とのことですが、長岡に来られるまでのことを教えて下さい。
坂東: はい。大学は新潟の大学に進学し、日本近現代史を専攻していました。卒業後は一度長岡のIT企業に就職してインフラエンジニアをやっていたのですが、地域に根ざした生き方を求めて、出雲崎町と福島県二本松市で「地域おこし協力隊」として活動したり、一時は福島県の郡山市に住んだりしていました。いわゆる、いろいろな土地を巡る「風の人」的な生き方をしていました。

ーー さっそく、地名がたくさん出てきました(笑)そんな坂東さんが現在のお勤め先である恩田酒造と出会ったきっかけは何だったのでしょうか?
坂東:実は、長岡市移住定住相談センターから紹介をいただいたんです。「あったか横丁」というイベントで、センターの職員さんに「お酒造りに関わる仕事がしたいです。」と話したところ、恩田酒造を繋いでいただきました。
※「あったか横丁」のイベント記事はこちら↓
ーー 日本酒王国と言われる新潟県の中で、長岡市の酒蔵は16蔵と最多。いろいろな酒造メーカーがあるなかで、恩田酒造を選んだ決め手は何ですか?
坂東:小さい酒蔵なので造り〜商品開発〜営業戦略まで自分で立てることができる裁量の大きさ。また、「発酵」それ自体に興味があったので、自分で日本酒造りもできそうだったのが魅力でした。
長岡の老舗マイクロブルワリーでの働き方
ーー 実際に入社してみて、どのような印象を持ちましたか?
坂東: 驚いたのは、仕事の濃密さです。社長を含めてたった5名の小さな酒蔵なのですが、酒米の栽培から酒造り、瓶詰め、さらには配達や営業まで、すべてを自分たちの手で行っています。
ーー えっ、5人だけですか?
坂東: はい、5人です(笑)。いわゆる、マイクロブルワリーですね。
ーー 日本全国で見ても、かなり小規模な酒蔵ですよね。ちなみに、恩田酒造の強みというか、他の酒蔵にはない特徴は何かありますか?
坂東: まず、「半農半酒造」スタイルの酒造りが挙げられると思います。自社で田んぼを持っていて、希少な酒米「一本〆」を自分たちの手で栽培しています。新潟県の酒米といえば「五百万石」がメジャーですが、「一本〆」は稲が強くて育てやすい。これを、玄米に近いほぼ磨かない状態で酒として仕込みます。米の出来に味が左右されるという不確実性がありながらも、ワインで言えば「フルボディ」、奥行きがあり、複雑な味わいを実現することができます。

ーー もともとお米や土地らしさを大事にする酒造りが行われていたのですね。坂東さんが入社されて、なにか変化はありましたか?
坂東: 2024年4月に入社したのですが、ちょうど2025年に150周年を迎えるタイミングだったので、会社としても「何か新しいことに挑戦したい」という想いがありました。そこで、これまでのいろいろな地域での経験やご縁と、恩田酒造らしさを掛け合わせたチャレンジを模索し始めたんです。
ーー 恩田酒造も、新しい風を求めていたんですね。具体的に、どんなチャレンジをされてきたんですか?
坂東: HPやオンラインストアを新しく作ったり、地域おこし協力隊として活動していたご縁から、出雲崎町産のコシヒカリのブランド米を使った日本酒を製造販売しています。また、社長に許可をもらって会社の畑を借りてサツマイモを栽培して、クラフト酒が造れないか実験していたのですが、、、これは、見事に失敗しました(笑)。
ーー 失敗は成功の種といいますし、次に期待ですね(笑)
坂東: 一応、まだ諦めてませんからね(笑)
ーー (笑)でも、いいですね。やりたいことを実現できているのは楽しそうです。
坂東:もちろん、酒造りという本来の業務にしっかり取り組むこと、また、営業面でも既存の取引先さんは大切にしないといけないので、新しくやりたいこととの優先順位を決めて、どうにか時間や機会を見つけていろいろと取り組ませてもらっています。
ーー まさに、ベンチャーのような働き方をされていますね。日々の業務を大切にしながらも、坂東さんの目線は常に「これから」に向いていますね。
坂東:もちろん、縮小していく日本酒市場において生き残っていくために「恩田酒造らしさ」を尖らせるという取り組みも行っています。たとえば、ブランディングを見直して「米を信じ SAKEを醸す」というキャッチコピーを作成しました。現在、そのキャッチコピーに即した日本酒を作ろうと、100年前に生み出された「酸基醴酛(さんきあまざけもと)」という製法の復活に向けて、試行錯誤を繰り返しています。

長岡の酒蔵で挑む“つくる仕事”
ーー 「酸基醴酛(さんきあまざけもと)」については、坂東さんのSNSや恩田酒造のnoteで熱く語られているのをよく目にします。お酒に詳しくない方向けに、この製法を分かりやすく教えていただけますか?
坂東: 一言で言えば、「伝統と現代の日本酒の良さをいいとこ取りしたハイブリッドなお酒の造り方」です。お米の旨みが詰まった重厚なコクがありながら、雑味のないスッキリとした綺麗さを両立できます。手間はかかりますが、恩田酒造にしか出せない「骨太で飲みやすい」味を表現できるんですよ。
【ちょこっと解説:酸基醴酛とは?】
おいしいお酒を造るには、糖分をアルコールに変えてくれる「酵母(こうぼ)」の力が欠かせません。
しかし、酵母はとてもデリケートな生き物。
いきなり大きなタンクに入れても、雑菌に負けてうまく働けません。
そこで、まずは小さなタンクで「酵母の精鋭部隊」を育てる工程が必要になります。
これが酒母(=お酒のお母さん)造りです。
「酸基醴酛(さんきあまざけもと)」は、日本酒造りの工程のなかでも「酒母(しゅぼ)」を造るための、製法の名前です。
「酸基醴酛」では、市販されている完成された乳酸菌、または、蔵にいる自然の乳酸菌の力を借りるのではなく、自分たちで乳酸菌を選んで育てるので、恩田酒造らしい味わいを追求することが可能なんだそうです。
150年目の大挑戦!新ブランド『米の恩返し』とクラウドファンディング
ーー 解説ありがとうございました。製法に対してのアツい想いを感じますが、この製法に至った経緯はどんなものだったんですか?
坂東: 冒頭でもお伝えしたように、僕は大学で近現代史を専攻していたので、他の人よりは、古い文献、それこそ明治・大正時代の書物を読むことには抵抗がない方だと思います。文献を研究する中で出会ったのが、この約100年前の製法でした。恩田酒造の技術や丁寧な手仕事という強みを一番活かせて、今の時代に面白い提案ができるのはこれだ!と確信しました。

ーー なるほど。150周年でなにか新しいことができないかとリサーチしている中で、この「酸基醴酛」に出会ったんですね。
坂東: 今は、この「酸基醴酛」製法の新ブランド日本酒を仕込んでいます。その名も『米の恩返し』。150年お世話になっているお米、お客様、地域に恩返しをする、という意味が込められています。また、「EP(エピソード)1」「EP2」という風に、仕込みごとのストーリーを大事にしながら、その時にしか味わえない日本酒を世に出していくという実験的なプロジェクトでもあります。
ーー なんと、1回限りの仕込みなんですね!「限定」という言葉に弱いので、購買意欲が刺激されます(笑)
坂東: 現在、Makuakeでこのプロジェクトを成功させるために、クラウドファンディングに挑戦しています。すでに目標金額は達成しているのですが、残り数日も駆け抜けていきたいと思っています。支援してくださった方には、酸基醴酛で仕込んだお酒をお届けしますし、ラベルイラストの投票権もついてきますよ(笑)。応援してくれる皆さんと一緒にブランドを創り上げていきたいと思っていますので、よろしくお願いします!
Makuake プロジェクトページ:創業150周年の新潟の酒蔵がチャレンジする新ブランド『米の恩返し』

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長岡での出会いをきっかけに、「長岡でお酒造りができたら…」という夢を叶えた坂東さん。
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