大学卒業後に、神奈川から新潟県長岡市に地域おこし協力隊員として移住し7年目を迎えた。
今回は私が地域おこし協力隊として長岡に移住した経緯、実際に暮らしてみてよかった点、残念だった点を紹介しようと思う。
記事の最後に、長岡を移住候補地にしていたものの断念した友人の例も紹介するので、参考にしてもらえたら嬉しい。
なぜ、長岡に移住したのか?
長岡に移住するまで新潟に足を運んだことがなく、長岡や山古志地域にも縁者はいなかった。
「ヨソモノ目線で、地域の魅力を住民と一緒に発信することがしたい」という思いから、地域おこし協力隊という制度に興味を持ったのが始まり。
募集団体を探していく中で震災伝承事業を行っており、地域づくりのビジョンが明確なNPO団体を選んだ。
行政職員の堅いPRが多い中、長岡の場合、市職員の方が親身になって相談に乗ってくれたことも好印象だった。
長岡に実際に住んでみて、どうか
6年間、山古志地域で生活をして感じていることは「生活に大きな変化がなかった」ということだ。
過疎地域、特別豪雪地帯で初の一人暮らしで?とインタビューでもよく驚かれるのだが、見栄を張っている訳ではない。
大学生から社会人に。
独身から既婚者に。
ライフステージに変化があったり、電車から車移動がマストになったりと、交通手段に変化はあった。
けれど、職場に行き休日は友達と飲みに行ったり、恋をしたり失恋をしたり。
それまでの生活スタイルを我慢することなく、しかも自分が望めば山菜採りに連れて行ってもらったり、かぐらなんばんを200株育てたりすることも叶うというスペシャルな環境。
移住してよかったこと
カッコイイ大人たちとたくさん出会えた
個性的で、地元のいい所も悪い所にも精通している。
なにより地元のことが大好きな大人たちと長岡でたくさん出会った。
学生との共催イベントも多い印象だ。
畑名人で料理上手。
誰にでも朗らかで、時には愛情を持って叱ってくれる。
第一線で活躍する80代かあちゃんたちを見ていると、おばあちゃんになるのが楽しみだと思えてくる。
そんな人たちと20代で出会えたことは、自分にとってかけがえのない財産だ。
美味しいお店が多すぎて、外食がやめられない
胃袋を掴まれた。
私が定住した1番の理由は、これかもしれない。
ふらっと入ったお店に外れがない!
地元に帰って食べるサラダや白米の味に「新潟の食のレベルの高さ」を思い知る。
長岡に移住して不満だったこと
- 冬の日照時間が短くて、気が滅入る(ウィンターブルーと呼ぶそう)
- 出会ったことのない虫と家の中で出会う
長岡を移住先に選ばなかった友人の場合
高校で同じ部活に所属していた友人が、長岡出身の男性と結婚を機に数年前、新潟に移住。
今回改めて、移住先を検討していた当時のポイントを教えてくれた。
仕事面
希望の就職先、納得できる給料の仕事が長岡になく、新潟市では選択が広がった。
※夫婦ともに医療系の業種が希望
気候面
雪道の通勤や生活を考えると、新潟市よりも降雪量が多い長岡での冬の生活に不安があった。
実際には、新潟市でも降雪時では普段10分の道を2時間以上かけて通うこともある模様。
医療面
不妊治療・婦人科の面で、新潟市の医療が充実していた。
最終的には、新潟市と長岡が高速で1時間ほどの距離のため、親族に何かあった時には駆けつけられると思い新潟市に決めたという。
移住地で譲れないポイントは人それぞれ
話をしていると友人は「新潟市でよかった」と言うし、私は私で「長岡でよかった」と思う。
私の場合、定住を決める際に「離れる理由がない」と思うくらい長岡と相性がよく感じた。
一方で、私と同じ出身であっても友人のように別の場所を選ぶ例もある。
新しい生活場所にどんなことを求めるか。
移住の目的や人生のタイミング、またその土地でどんな人と出会えるかによっても満足度は大きく変化すると思う。
後悔のないよう、譲れないポイントを決めて、納得いくまで情報収集をすることをオススメしたい。
みなさんが相性のいい場所に移住し、自分らしく生活できることを願っている。