新潟県長岡市の東部に位置し、上杉謙信公ゆかりの地や「栃尾のあぶらげ」で知られる栃尾地域。
四方を山々に囲まれ、雪を避けて歩けるように発展した雁木(がんぎ)が立ち並ぶ商店街は、どこか懐かしさを感じる街並みです。
その一角に佇む「米与米穀店」で明るい笑顔を見せるのが、この栃尾地域で生まれ育ち、海外生活を経てUターン移住をした平井優(ひらい・ゆう)さんと、イタリア出身の夫・アンドレアさん。
今回は、優さんが実家の「米与米穀店」を継ぐまでのストーリーをはじめ、アンドレアさんが地域に溶け込み、お米作りに挑戦するまで、そして雪国の暮らしについて、ざっくばらんにお話を伺いました。
「周りの流れ」ではなく自分の直感で栃尾から海外へ

── 優さんは長岡市栃尾地域出身とのことですが、海外へ行こうと思ったきっかけは何だったんですか?
優さん:中学生まで栃尾で過ごしていたのですが、刺激を求めて外に飛び出したいという思いと、実家が商売をしていたということから、長岡地域の商業高校に進学しました。高校卒業後は、ものづくりが好きだったので地元の長岡造形大学に進学しました。でも、ずっと「海外に行きたい」という憧れの気持ちを募らせていました。
── まずは日本の大学に進学されたんですね。
優さん:親から「大学を出てからでも遅くない」と言われていたんです。大学生活はとにかくバイト三昧でした。4年生になって周りが新卒の就活の話をしていても、全然興味が持てなくて。私は海外に行くことしかやりたいことがなかったから。
── みんなが就活をしている中で、自分の意思を貫いたんですね。かっこいいです!
優さん:実際は、全然かっこよくないんですよ(笑)。英語力ゼロ、バイトで貯めたお金をもってカナダに行ったんですけど、最初の半年であっという間に使い切ってしまいました。一度日本に戻り2年働いてお金を貯めて、ワーキングホリデービザでカナダのトロントへ戻って、色んなご縁を頂いて、29歳まで4年間滞在しました。20代は本当にやりたいことだけを追い求めてましたね。
オーストラリアでの運命の出会いとUターンへの決意

── 4年間もカナダに!その後はどうされたんですか?
優さん:ワーキングホリデービザって30歳までしか使えないので、せっかくだったら違う国を見るチャンスだと思って、今度はオーストラリアに行ったんです。それで、到着後に最初に泊まったホステルで隣の部屋だったイタリア人のアンドレア(現在の夫)に出会って、もう10年一緒にいます。
── えっ!純愛じゃないですか(笑)。でも、そのまま海外に住み続ける選択肢もあったと思うんですが、なぜUターンしようと決めたんですか?
優さん:私、一人っ子なんですよ。だから「実家のお米屋がなくなったら寂しいな」と思って。若い頃は一度も考えたことなかったのに、30歳を過ぎた頃に気持ちが変わったんですよね。それで、アンドレアを連れて実家に遊びに来たら、彼が「いいとこじゃん!」って言ってくれて、トントン拍子で結婚と移住が決まりました。

── そうだったんですね!10年ぶりに戻ってきた故郷は、優さんの目にどう映りましたか?
優さん:人通りもお店も少なくなっていて、正直、少し寂しさを感じたのを覚えています。ずっと住み続けていたら、こんな風に感じることはなかったかもしれません。
── よければ、栃尾のおすすめポイントを教えてください!
優さん:田舎は、都会に比べてライバルが少なく、やりたいことに挑戦しやすい環境にあると感じています。最近新しいカフェやベーカリーも増えて、栃尾の街がますます楽しくなってきました。仕事中心の都会の働き方に疲れたら、一度深呼吸しに遊びに来てほしいですね。
外国人夫の移住後のコミュニティづくり

── アンドレアさんは縁もゆかりもない土地への移住でしたが、優さんはどんな風に関わっていたのですか?
優さん:最初は、私の知り合いを紹介して、一緒に食事をしたり、遊びの予定を入れたりしていました。でも、彼が私に関係性を依存してしまうのではなく、自分自身で独り立ちしてコミュニティを築いてほしいなと思っていました。
── 確かに、四六時中一緒にいるわけにはいかないですもんね。具体的には、どんな風にサポートされたのですか?
優さん:同じような境遇、つまり、海外から新潟に移住した外国人の友達がいると彼も心強いのではないかと思って、彼が移住してくる前から、新潟県に住んでいる外国人やイタリア人の情報を集めていたんです。実際に住み始めてからはそうした方々にも、直接会いに行ったんですよ。
── 事前のリサーチが素晴らしいですね!
優さん:ただ、そういった方々は同じ地域に住んでいる訳ではないので、地元の人たちと交流することも意識していました。例えば、英語教室のお手伝いをしたり、あとは彼が「尺八を習いたい」と言って教室に通って、発表会に出たりしていました。その中で、自然と彼自身のコミュニティができていきましたね。

── 得意や興味から始めて、自分の居場所を見つけていったんですね。
優さん:最初はまちなかを歩いていても「外国人がいる!」と注目を浴びることが多かったのですが、街で商売をしていることもあって、だんだんと存在を認知していただけるようになりました。いまでは、地元のおじいちゃんに弟子入りして米作りにも挑戦しています。
地元の農家のおじいちゃんが師匠!夫は「棚田ブラザーズ」に

── お米作りに挑戦!どういった経緯だったんですか?
優さん:アンドレアは自然が大好きで、「ここでお米を作りたい」と言ってくれたんです。師匠は、もともと「米与米穀店」の取引先だったベテラン農家さんなんですが、その方は長年、栃尾の棚田で有機栽培でお米作りをしていました。自然にも、私たちにも優しいお米作りにも惹かれて弟子入りをお願いして、田んぼの手伝いを始めたのがきっかけです。
── それはすごいご縁ですね。
優さん:今はその田んぼで、お隣の見附市に住んでいるアメリカ人のトムと一緒に「棚田ブラザーズ」という名前で米作りをしています。Instagramでも日々の様子を動画で発信しているので、ぜひフォローして応援してください!
Instagram:https://www.instagram.com/tochio_tanada_brothers_/
── 優さんご自身も家業で新しい挑戦をされているとか。
優さん:そうですね。今飲んでいただいているこのドリンク、酸味があってフルーティーでしょ?疲れたときに効くんですよね〜。黒麹を使った甘酒なんですけど、アミノ酸やクエン酸が豊富で元気になるんですよ。実家のお米の商売を守りながら、こういった新しいことにも挑戦しています。

「雪」との向き合い方。大変だからこそ気づく豊かさ

── 長岡市栃尾地域への移住といえば「雪」が気になるところです。こちらはぜひアンドレアさんにお伺いしたいのですが、雪国の暮らしはどうですか?
アンドレア:最初の3年はすごい雪の量や風景の美しさに興奮していましたが、昨年から疲れが出てきました。自宅に倉庫、お店と雪かきをする場所が多いんですよ。それなのに雪の降る勢いが強すぎて、一箇所終えて戻ってくるとまた積もっていて……正直うんざりしてしまうこともあります。
── 本音がぽろりと出ましたね(笑)。毎日のこととなると本当に大変だと思います。
アンドレア:でも、その厳しい冬があるからこそ「春がもっと楽しみになった」と感じます。それに、「たくさんの雪が降るからこそ美味しいお米ができるんだ」って、前向きに考えて乗り越えるようにしています。

長岡への移住・Uターンを迷っている人へ。

── 最後に、これから移住やUターンを考えている読者の方へメッセージをお願いします。
優さん:若い時は何が正解か本当はわかんないんですよね。でも私が経験して言えるのは、周りの人の流れなんて関係ないってこと。人に言われて選んだ道だとモヤモヤするけど、自分が「やりたい」とチョイスした道を進んだら後悔はないし、全て正解になります。
── まさに、ご自身の経験からの言葉ですね。すごく響きます……!
「周りに流されるのではなく、自分の意思で選択する」。
優さんの飾らない言葉の数々には、海外を飛び回った経験に裏打ちされた力強さと、栃尾という故郷を想う真っ直ぐな愛情が溢れていました。

【店舗情報】 米与米穀店
住所:新潟県長岡市栃尾表町9−1
営業時間:09:00-17:00
定休日:日曜日
電話番号:0120-388-455
公式サイト:https://komeyo.com/
SNS:https://www.instagram.com/komeyobeikokuten/
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